
いくら、ネットがオープンソース(誰でもが無料で活用できる情報ソース)だといっても、ウィキリークスのような組織によって、国家機密がどんどん暴露される社会が来るなんて、想像もできませんでしたね。
秩序がすべてなくなっちゃうんじゃないかな、と心配になります。でも、よ~~~く考えると、近代史はけっこう、一部の先進国と、一部のお金持ちと、一部の政治家によって、秘密裏にシナリオが描かれてきたようですから、どっちが、不健全かっていうと、よくわからないんです。
最近読んでいる”CIA秘録” (アメリカCIAの秘密文書の公開録)によると、CIA工作は、隅々に行き届いていて、大儀の戦争も、実は、ちゃーんと裏で操作されていて、アメリカの国益のために、ちゃっかりしくまれていた、なんてお話ばかり。たとえば、誰かさんが、プールサイドでワインを片手に、気まぐれに発した言葉から、何百万と言う人が餓死するような紛争がしくまれたりする。一般市民は背筋がぞっとします。
そういう歴史の裏舞台は、言ってみれば、片方にかぎりなく振りきっているようなあんばいです。
そんな認識をもつと、極端きわまりないなあ、と思うウィキリークスも、実は、単に、その反対側に、限りなく振り切った形だとも言えるのだと思います。
ウィキリークスのような、極端なやり方でも、CIA秘録的、しくまれたシナリオのみが突っ走る世界よりは、健全なのだろうか、と思ってしまいます。
まあ、多面的に考えていくと、一面的に善悪がつけがたいと言うことだと思います。
私は、ウィキリークス擁護論者ではもちろんありませんが、ウィキリークスは、今まで、一部のずるがしこい人間たちがしくんできた歴史に対しての、極端なアンチテーゼだと言えなくもないんだろうな、と思うのです。
少なくとも、一部の権力をもつ人間のみが情報を握っていることにおいておこる、不健全性、と言うものに対して、初めて、かなり破壊的なやりかたで、刃がつきつけられたということかもしれません。権力者にとっても、国家秩序にとっても、歴史的にきわめて新しいクライシス(危機)であることは間違いない。
いいとか悪いとか、一面的な判断を直ちに下すのではなく、このアンチテーゼに対して、確実に言える事は、多面的に考えることが大事なのではなかろうか、と思います。
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