久々に、ニュースを見て、いや~な気分になりました。
口蹄疫殺処分を逃れていた、最後の種牛が、「決まりだから」・・・・という理由で殺処分されることになったそうです。感染の疑いはないというのに・・・
優秀な種牛は、国家の財産でもあると思うのだけれど、そういう観点で見ることは、大臣(たぶん、官僚の代表なのでしょうけど)レベルでなされることはなく、全員従ったのだから、例外は認められない・・・・という理由らしいです。
でも、これが、たとえば、経団連とか、アメリカとかの利害がからんでいたら、たぶん答えは違っていただろうな、と私は思います。狂牛病だって、日本の農家が困ることに関しては、なんらちゅうちょされず、イケイケで全頭検査、などと言い、ほとぼりがさめて、アメリカ産牛肉の話になると、ころっとニュアンスが違ってきます。たぶん、今回のことだって、感染していないのだから、超法規的手段、ということになったと、悪いけど私は確信します。
まあ、とにかく、この国のお大臣様は、お代官様が、農民をいじめるみたいに、国民、特に、弱い一市民レベルだと、どれだけでも大きな顔をしていたぶりはじめますから。細々とした、日本の畜産など敵に回しても、何の怖いこともないよ、という声が聞こえてきそうです。内向きには、権威を振りかざすのが大好きです。(外にはぜんぜん弱腰な癖して)
そういえば、中国にいた患者さんが言ってました。
「日本大使館は、日本人にだけ、居丈高ですよ。中国に対しては、頭ぺこぺこ状態ですもんね。あんたは、どこの国の人ですか?と言う感じだよ。」
この種牛は、農家ひとつの問題でもないし、宮崎だけの問題でもありません。日本の畜産すべてにかかわる問題だし、種牛自体は、国家財産とも言うべき国民の利害がからむものだと思います。
殺処分をしなくても良い、ベストな方法を、国をあげて考えるべきだし、その損害が、日本国の損失にもかかわる、と考えるべきだと思うのです。あの、種牛の農家のご老人のように、この種牛は、またあらたな未来につながるはずだ、という、真摯な信念に見習うべきなのです。
それでも、口蹄疫の感染食い止めに、どうしても殺処分が必要であれば、断腸の思いであらゆる手段で、その遺伝子を残す方法を考えた上で、実行すべきだと思います。
しかし、今回の大臣の木で鼻をくくったような態度は、ただ、決まったことをまもらないから、バツ!みたいな、狭い視野で権力を振りかざしているとしか思えません。
そしてその、最後通告もいつものお決まり。下のものを、互いに対立させる、という方法を取ります。殺処分ができなければ、移動制限を解かない。つまり周りに迷惑がかかるからね、と、彼らの中に対立を作り、自滅するように仕向けました。
そのやり方は、良く見てると、国がしもじもに対して取られる代表的な方法です。
たとえば、医療費を削るのに、患者と医者を対立させるのに似ています。この方法で、今では、先進国では、きわめて低い医療費に成功しています。
たぶん、今回のことで、若者は思い知ったでしょう。この国では、畜産にたずさわることは、あまりにもリスキーでばかげている、と。けっして、こういう仕事に就くべきではない・・・と。
国家は、この仕事の人たちを守るつもりはない、とね。それは、2次的な大損害であり、国家の未来の、ある方向性を決定つけることでもあります。それが、どれだけ罪深く、無策なことであるか。いつもどおり、中央の人たちは限りなく無頓着です。
あの大臣の顔を思い出すだけで、今日は気分が悪いさち先生です。それに比べて、あの畜産農家のご老人のしわに刻まれた、人間の苦労、深い思い・・・・あまりに対照的です。
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