山口大学の口腔外科 コーヒーカップの思い出

2009-10-30 17:10

最近物がとっても安くなって、少し怖い気がします。値段を下げても下げても物が売れない。その裏で、商品にかかわっている人たちがどんどん貧しくなっていく。その人たちも仕掛けている側であると同時に仕掛けられている側でもある。これが恐ろしいデフレというもののようです。
 しかし、物が、どんどんありがたみを失っていく中で、自分の人生といっしょに歩いてきた物、というものがありませんか。長いこと自分が大切にして愛用してきたものです。
 私にもそういう物があります。そのひとつが写真のコーヒーカップです。萩焼の小ぶりなカップアンドソーサー。


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私がまだ大学を卒業して、山口大学の口腔外科で研修していた頃のことです。歯科医の免許は持ったものの、まったく技術は伴わず、日々各方面からのプレッシャーに押しつぶされそうな毎日を送っていました。
 そんな私に、ある日、顎を骨折された患者さんがまかされました。彼女は40代、萩に住む奥さんで、何でも土木工事のアルバイト中に、負傷されて、大学病院の口腔外科に入院することになったのです。 ベテランの先輩の指導のもととは言え、私の名前が枕元の主治医欄に書かれて、私はかなり張り切っていたものの、患者さんにすれば、こんな下っ端のドクターが主治医なんて、なんと心細かったことか・・・。
 彼女は、土木工事とは結びつかない、華奢でやさしい面持ちの女性でした。あまりたいしたこともできないかわりに、あしげく病棟に通う私に、いつもニコニコ応対してくれました。教授が来たときも、私が来たときもいつも、同じように丁寧に挨拶してくれるので、だんだん彼女に会いに行くのがうれしくなりました。

 彼女の家は、大家族で、中学か高校かの子供さんがいました。萩から大学病院まではずいぶん距離があり、子供たちともなかなか会うこともできません。それに、顎を折ると、上下の顎を固定するため、一ヶ月近く流動食になるのですが、不平を聞いたこともありませんでした。いつもしゃべりにくい口を動かして、誰にでもありがとう、とにこっと笑ってくれました。ナースもドクターも、だんだん彼女の笑顔に接すると幸せな気分になって、彼女の周りには幸せの湯気がたちこめているようでした。
 一ヶ月近くの入院のあと、やっと治って、彼女はご主人のお迎えとともに、愛する家族のもとに帰っていくことになりました。
 支度を済ませた彼女は、はにかんだように紙袋をさしだしました。
「先生、お世話になりました。うちは、萩焼のお店もしているんです。よかったらこれ使ってください。」私はたいしたこともできてないので、びっくりしましたが、ありがたく行為に甘えました。
 あけてみると、なんとも愛らしい素朴なカップが二つ、箱書きのあるきれいな箱に鎮座していました。なんだか、彼女を思わせるやさしいデザイン。私はすっかり魅了されてしまいました。
 
 それからというもの、このカップはいつも私といっしょです。 いつもは、気軽なマグカップなどを使ってお茶していますが、ここぞというくつろぎタイムには、麻のランチョンマットになど載せて、ごそごそとこのカップを出してきます。
 そのときは、やっぱり、彼女の笑顔を思い出します。
 そして決まったように、カップが語りかけます。人に幸福を伝染させられる人間になれているか~?・・・もうとっくに彼女の年齢にたっしているけど、と・・・。

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