患者になりました。その2 ”高層のサナトリウム”

医療人ねた

 もちろんサナトリウムに入っているわけではないけど、”サナトリウム”というのは、結核療養所という言葉からどんどん一人歩きして、しばらく浮世を離れて肉体をリセットする保養所のような意味合いを帯びています。
 さながら、私もそういう気分で近代的な病院の、海の見える9階に居場所をもらっています。
 この部屋には、ただで、眼下に博多湾が広がる絶景がついています。能古の島も見えます。今日は久しぶりの雨。雨の風景もたまにはいい。反対側の部屋をのぞくと、雑多な街のたたずまいが、ビルの高低によってリズミカルに味付けされ、にぎやかに広がっているので、私の部屋とするとかなり雰囲気が違います。
 ま、こっちでラッキーと思うんですが

 しかし、高層マンションに住んだことのない田舎ものの私は、ここにいると”高い所”というのが、実は哲学的な意味をもっているのではないか、と感じ始めたのです。
 広々と海へ続く視線を遊ばせていると、なんとも、心の視線まで広角になるような気がしてくるのです。私というちっぽけな存在が、たとえば、悩んだり、逆に喜んだり、あるいは、すごく高慢になったり、私にとっては、嵐のような感情の波であっても、なんとちっぽけで、とるにたらないことだったのだろうという思考法が、自然と生まれてくる。

 まあ、日ごろは、せいぜい診療室は2階だし、自宅だって田舎の一軒屋。高い所なんて縁がありませんもので、自分のいる物理的高低によって、思考法がかわるなどとは、考えもしませんでしたが。
 とにかく、普段、低層エリアでいそがしく暮らしている時と、思考の切り口が違うんですね。お茶碗をおはしでせっせとつついているのが、まるで、ボールとおしゃもじに変わったくらい違う。
 
 なんだか、高いお金を出して、マンションの割高な高層階を手に入れる人たちの、気持ちも少しわかったような気がしました。

 それに、バベルの塔にシンボライズされるように、人類がなぜ、高く高く建造物を積み上げたかったか、ということも・・・なんとなく、わかったような・・(ま、以前よりは、ってことですけれど)

 また、退院すれば、低層エリアできわめて雑多な暮らしが始まるのですが、この高層エリアにおけるちょっとした高邁で、広大な思考を、せめて十分に満喫することにしましょう・・・

 あ、それから、高層マンションの高層階にお住まいの方に聞くところによると、”慣れちゃう。”ということなので、ひとえに、これは、短期滞在型サナトリウム効果が加味されてのことかもしれません。

 
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