福島第一原発の放射能汚染は、地震や津波の被害さえ、かき消してしまうほど悪質です。伝え聞く、原発で作業していただいている方の環境も、劣悪すぎて涙をさそいます。
本当に、放射線被曝に対して、打つ手はほとんどないのでしょうか・・・・
さち先生は、最近とってもすごいことを知りました。
それは、1945年に長崎に原爆が投下されたとき、その爆心地からたった1.8キロという、ほとんどホープレスな場所で、生き残って健康を取り戻した集団がいた、という事実です。
当時、聖フランシスコ病院の医師であった秋月辰一郞氏と、彼が悲痛な思いで診た患者さんの一群が、その奇跡の人々だったのです。
戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある。秋月医師は、その知識と、今まで取り組んできた体質医学の経験から、人々にこう命令したそうです。
「爆弾を受けた人には塩がいい。玄米食にうんと塩をつけておにぎりをにぎるんだ。塩辛い味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして甘い物をさけろ。砂糖は絶対にいかん!」
すると、彼の指導を守った人々は、普通なら、徐々に原爆症の症状が出て進行してしまうのに、元気に生き延びたそうです。
秋月医師も、爆心地で救助にあたっているにもかかわらず、何年か前に他界されるまで元気で過ごされていたようです。
レントゲン治療を受けて弱った患者さんには、普通の生理食塩水より、濃い濃度の点滴の方が良いということを経験的に感じていたことも、秋月医師のヒントになったとも言われているそうです。
秋月医師が書いた「体質と食物」という本の英訳がチェルノブイリ事故のあと、欧州で出回り、日本の味噌がたくさん売れた、ということも、今回初めて知って、驚きました。
医学界がアカデミックな権威をもって、認めていることだけが真実ではありません。市井の一医師が、経験的に知っていた知恵が、世界を救うこともあるんですね。
あの福島原発で、作業にあたっている方々が、秋月医師の処方した食べ物をしっかりとって、快適な環境ですごすことができるといいのに、と祈るような気持ちになっています。
そして、あらためて、日本古来からの優れた食文化を見直しました。
もともと、日本食大好きなさち先生は、この知る人ぞ知る事実を知って、なんだか誇らしく思います。地震のあとの日本人の行動に、世界がうなったと言われていますが、日本食も同様にすばらしいものだったのです。
医療は、症状を、ただとることにとどまらず、良い体を作っていくことだと思います。食についてはもっと勉強していかねばなりません。
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